広島と結ぶ目的で、浜田市に建設が進められた国鉄今福線。1940年(昭和15年)に下府(しもこう)駅から石見今福(いわみいまふく)までの路盤が完成したものの、陽の目を見ることなく、長年放置の状態が続きます。25年後の1965年(昭和40年)に広島側の可部線「三段峡」駅と石見今福を結ぶ路線(広浜線)の建設が決定し、遂に鉄道として陽の目を見るかと思われましたが、1969年(昭和44年)にルートの変更が決定し、浜田から直線的に石見今福に達する「今福新線」の工事が始まることに。戦前に建設された今福線は完全に放棄され、今福新線は広島側の可部線と一体となり、広浜(こうひん)線として山陽と山陰を結ぶ幹線鉄道となる役割が期待されることになりました。

★↓図をクリックすると拡大表示します↓★

※この背景地図等データは、国土地理院の電子国土Webシステムから配信されたものを利用しています。利用の目的第8項、サイズ規定5枚までの1枚に該当。

こちらの図(図1)は前編で示した、今福(旧)線と今福新線の路線図です。結局、今福新線も広島側までつながることなく、1980年(昭和55年)に工事は中止。石見今福には、新旧2つの未成線が残されるという結果となりました。前編では石見今福駅予定地から、今福新線と旧線を見比べながら、8番地点までたどりましたが、今回は今福旧線をたどりながら、山陰本線「下府駅」へ。あと少しというところまでこぎつけながら、果たせなかった広浜線の開通。その陰には、国と地元を巻き込んだ微妙な駆け引きがあったと言います。鉄道建設の熱に沸いた昭和時代を思い浮かべながら・・・前編からの続きです。

中国地方に網の目のように広がるJRのローカル線。山陽と山陰を結ぶ、陰陽連絡線として重要な役割を担っている一部の線区を除き、その大半は優等列車の運転もなく、普通列車が1日数本走るだけの、超閑散路線となっています。先日、そのような中で廃止が発表され、風前の灯となったJR三江線を訪ねましたが、その三江線からもほど近い浜田市には、現在の鉄道路線図にはない別の陰陽連絡線構想が存在していました。広島県広島市と島根県浜田市を結ぶ、広浜(こうひん)線構想です。

上図は、広島県と島根県付近の鉄道路線図(図1)です。広島と浜田を結ぶ鉄道建設構想には、かなり古い歴史があり、昭和初期には広浜(こうひん)鉄道という私鉄が、すでに広島市内に存在していました。一方、国の方でも1927年(昭和2年)には広浜線の建設計画が決定され、1933年(昭和8年)には広島側から可部−加計、浜田側からは下府(しもこう)−石見今福の建設を開始。国鉄広浜線のルートと重なる私鉄の広浜鉄道は、1936年(昭和11年)に国に買収され、これが現在の可部線となりました。下府から石見今福への工事は、資材不足に悩まされながらも順調に進み、1940年(昭和15年)までには、ほぼ路盤が完成していきます。

1986年3月に新線へと切り替えられて廃止となった旧内子線。廃止後数年は、イベントや映画の撮影などに使用されたものの、廃線跡のほとんどは道路や施設となり、その面影を示すものはほとんど残っていません。しかし(旧)五十崎駅跡地から西へ入った区間には、廃止後30年という年月を経てもなお、当時の鉄路がそのまま残されていました。深い藪と崩壊した土砂に阻まれていた、この廃線跡を再び整備し、地道に守ろうとする取り組みが、今、現地で始まっています。国鉄、旧内子線の廃線跡を訪ねて。前編からの続きです。

(旧)五十崎駅跡から国道56号線を越えると、旧内子線の線路がそのまま残っている区間に出ました。廃線ウォークのイベントが開催され、案内は元内子駅長の川原さん。旧内子線の線路を、ウォーク参加者の方々がのぞき込んでいますが・・・。

 

愛媛県喜多郡内子町。ここに国鉄時代に廃止された旧内子線があります。国鉄時代の内子線は、予讃本線五郎駅から分岐し内子駅で終点となっていた盲腸線。廃止対象となっていても、おかしくない程の閑散路線でしたが、1986年(昭和61年)3月3日に予讃本線の新線が内子町を通るように完成。(新)五十崎駅付近から新谷駅付近までの内子線は、この予讃新線(工事名・内山線)に組み込まれ、特急列車も走る幹線鉄道としての役割を果たしていくことになりました。この路線変更に取り残された五郎−新谷と(新)五十崎駅付近から旧内子駅までの区間が廃止となり、経路変更に伴う廃線跡として、放置されていくことになります。

★↓内子線の廃止後数年の様子は、こちらも参照下さい↓★

http://iso4z.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/post-bc9f.html

↑【愛媛県内子町に消えた盲腸線、内子線−過去への招待−】↑

★↓写真をクリックすると拡大表示します↓★

しかし経路変更から、ちょうど30年。建設された高速道路に飲み込まれ、並行する国道の改修工事に消えたりと、分断されながらも、旧内子線の線路は撤去されることなく深い藪の中に残されていました。地元の有志の方々により、鉄路が残されていたこの廃線跡は、草刈りなどの整備が行われ、再び陽の目を見ようとしています。地元ではTVで紹介されたり、廃線ウォークも企画されたりと、残されていた旧内子線の鉄路は、少しずつ話題となっている様子。今回は復活しつつある、この旧内子線を訪ねてみることにしました。

広島県の三次(みよし)市と、島根県江津(ごうつ)市を結ぶ、JR三江(さんこう)線。1930年(昭和5年)に江津市側から部分開業し、1963年(昭和38年)までに三江南線として三次−口羽、三江北線として江津−浜原が完成。その後、しばらく南北に分かれたままの状態が続きますが、1975年(昭和50年)8月31日に残っていた口羽−浜原が開通して全通。三次−江津108.1kmが完成し、広島県と島根県が結ばれました。

こちらは、三江線(赤線部分)の路線図です。山陽と山陰を結ぶ、陰陽連絡線としての役割も期待できるかと思われた路線でしたが、江の川に沿って進む路線は、最後に開通した口羽−浜原間以外は線形も悪く、全線の通過には大変時間もかかり、また沿線は人口希薄地帯であることから、利用は極度に低迷。ほとんど優等列車も走らないまま、中国地方のローカル線の中でも屈指の超閑散路線となってしまいました。代替道路の未整備という理由もあり、何度も廃止の危機を乗り越えてきましたが、2016年9月30日にJR西日本は、遂にこの三江線の廃止届を提出。今回は、2018年3月30日をもって廃止の予定となってしまった、この三江線を訪ねてみることにしました。

8月に入り、暑い日が続いています。連日の猛暑日で過酷な暑さが続いていますが、今回は岡山県津山市へ。2016年4月に、JR西日本津山駅に隣接する旧津山機関区(現在の津山運転区)に残る扇型機関車庫を中心として「津山まなびの鉄道館」がオープンしました。かつて非電化区間で活躍した国鉄時代からの気動車、ディーゼル機関車を中心に展示しています。夏休み期間中の暑い1日、オープンして4ヶ月の「津山まなびの鉄道館」を訪ねました。

ということで津山市の津山まなびの鉄道館前です。津山市は、岡山県北(美作國)の中心都市として栄えた城下町。人口は10万人ほどで、岡山からの津山線、鳥取方面への因美線の他、姫路から津山を経て新見まで伸びる姫新線が通っており、いずれも非電化単線の路線ながら、鉄道の要衝となってきました。津山まなびの鉄道館は、津山駅の南西側に入口があります。入場は大人1人300円。無料の駐車場も完備されています。

静岡県を分断するように流れる大井川。東海道が横切っているものの、江戸時代には川に架かる橋がなかった(作らなかった)ため、増水すると「川留め」とされ、水位が下がるまで待機を余儀なくされました。川留めは何日も続き、「越すに越されぬ大井川」と唄われたりしています。現在の東海道本線「金谷駅」から、この大井川を遡るように敷設されているのが大井川鉄道です。ここは地方私鉄ながらSLの復活運転に力を入れたり、長島ダムの建設に伴う迂回路線として日本唯一のアプト式登山鉄道を開業したりと、話題の多い鉄道となっています。

ということで、こちらは大井川鉄道の千頭(せんず)駅です。大井川鉄道では2014年(平成26年)からアニメ「きかんしゃトーマス」とのタイアップ企画として「きかんしゃトーマス号」が運転されています。千頭駅構内にはトーマスフェアとして「ヒロ」と「パーシー」も登場して、トーマスと共に、雰囲気を演出。それにしても、よくできていますね。

福岡県福岡市。言わずと知れた九州最大にして、人口150万人を超える政令指定都市です。2016年2月の速報値で154万人となり、人口第5位だった神戸市を抜き、第5位福岡市、第6位神戸市となりました。神戸市は5大都市からの転落となりましたが、人口増加を続ける川崎市にも迫られており、次回の国勢調査結果が気になるところです。

話が脱線しましたが、こちらは博多駅です。新幹線の改札口横に、博多南行きの案内が見えました。博多南線は、博多−博多南間、わずか1駅、8.5kmの在来線ですが、新幹線ホームからの乗車となります。

戦前から計画が進んでいた日本初の高速鉄道計画、弾丸列車構想。大阪以西は、山陽新幹線のルートとして生かされる区間もなく、この当時の計画ルートは不明となっていましたが、新大阪−新姫路の区間については、遂にその概要が明らかとなってきました。この調査の経緯につきましては、少しずつ進展する度に当ブログ内で詳細に取り上げてきたため、結果的に大変細切れの記事となってしまい、大変恐縮ではございますが、序章から第一部完結編まで全15記事をご覧頂ければと思います。

そして、この度、神戸史学会発行の「歴史と神戸」2016年4月号(通巻315号)に、この弾丸列車構想の兵庫県内全ルートをまとめた記事を出すことができました。ここにご報告申し上げますとともに、ご協力頂きました関係各所の方々、そしてこのブログを通して興味を持っていただいた全ての方に、お礼申し上げます。本当にありがとうございました。

★↓神戸史学会のホームページ(入手案内)は、こちらをどうぞ↓★

http://www.kobe-sigakukai.com/nc/htdocs/index.php?page_id=34

最新号は、元町商店街の海文堂に置いてありましたが、残念ながら閉店してしまいました。現在は、南京町の西側出口から、少し南へ行ったところにある「うみねこ堂書林」で入手可能です。よろしくお願い致します。

★↓うみねこ堂書林のホームページは、こちらをどうぞ↓★

http://www.portnet.ne.jp/~uminekodo/

今回は、この掲載を記念し番外編と致しまして、兵庫県内の全ルートを振り返りながら、広島に残された弾丸列車のルートを訪ねてみたいと思います。

2016年3月26日のダイヤ改正で消える、日本最長昼行特急「しなの」号。1日1往復だけ残された大阪−長野の直行便は、改正後、全て名古屋−長野間のみの運転になります。次第に削減が進み、細切れとなっていく長距離列車。JR3社にまたがる唯一の特急列車、441.2kmの旅。前編からの続きです。

★↓前編の記事は、こちらをどうぞ↓★

http://mainblog.iso4z.com/?eid=16

大阪を出て1時間30分、JR東海区間、そして岐阜県に入り、関ケ原を通過しました。ここから大垣駅までの区間は、東海道本線は2つの経路に分かれます。勾配を緩和した迂回路、通称「新垂井線」経由は、登り坂となる下り線(西方向)の貨物列車や、優等列車が使うのみ。長野行き特急「しなの」は、東方向への上り線のため、通常の垂井駅経由となっています。昔は、この迂回線には「新垂井駅」が設置されており、下りの普通列車のみが停車する駅として知られていましたが、垂井駅に全ての普通列車が停車するようになり、国鉄末期である1986年(昭和61年)11月に廃止されました。

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