1984年(昭和59年)、岡山市で1つのローカル私鉄が、その役割を終えました。岡山駅から宇野線(瀬戸大橋線)で南に1駅、大元駅から分岐していた岡山臨港鉄道です。岡山臨港鉄道の開業は、1951年(昭和26年)8月1日。以来、広大な干拓地に建設された工場地帯への通勤、貨物輸送を担ってきましたが、大元駅での乗り換えが災いし、岡山市中心部へ直通するバス路線に乗客を奪われ、頼みの綱だった貨物輸送も、国鉄改革による合理化の波により激減していきました。わずか1駅ということもあり、岡山駅への直通運転は開業当初からの悲願となっていましたが、設備投資や安全基準対策が壁となり、結局最後まで実現には至らず、33年という短い歴史に終止符を打ちました。

こちらは現在、遊歩道「臨港グリーンアベニュー」として残る岡山臨港鉄道の廃線跡です。ここから鉄道の音が消えて32年の歳月が流れました。それは岡山臨港鉄道の動いていた年月と、ほぼ同じ時間・・・。

いえ実は、この鉄道の歴史は、それより、もう少しだけ、わずかに深くて長いのです。

★↓地図をクリックすると拡大表示します↓★

数年に渡り、大阪−姫路で調査を続けてきた、日本初、そして世界初の高速鉄道計画、弾丸列車構想。幻と消えたと思われた、その建設予定ルートは、調査を進めるうちに、現地で様々な痕跡を確認。大阪ー神戸、明石−姫路の建設予定地が判明し、最後に難航した神戸−明石も確定して、遂に新大阪−新姫路の建設予定ルートが明らかになりました。そうなると次に気になるのが、新姫路から西の様子です。現在の赤穂線沿線を進み、宇野線大元駅付近に新岡山駅を建設予定だったと言われる、弾丸列車構想。果たして今でも、現地に痕跡は残されているのでしょうか。そして、その予定地は・・・。70年以上前の未完の高速鉄道計画、岡山に消えたローカル私鉄、岡山臨港鉄道の歴史には、その影響が、深く刻み込まれていました。今回より、調査地点は兵庫県から岡山県へ。第1部完結編からの続きです。

こちらは、岡山臨港鉄道が分岐していた岡山市の大元駅前です。かつては地上駅でしたが、現在は高架化され、昔の面影は残っていません。岡山臨港鉄道の建設構想が具体化したのは1943年(昭和18年)で、開通の8年も前になります。最初は、児島湾の干拓地に作られた工業地帯、特に汽車製造への専用鉄道として計画されました。汽車製造は1942年(昭和17年)に岡山工場が完成し、周辺の工場3社と合わせる形で、通勤や貨物輸送に使う専用鉄道を建設することになったようです。この辺りのことは、ちょうど2016年1月に寺田裕一著「岡山臨港鉄道」(ネコ・パブリッシング)が発売されましたので、その中から大事な部分を以下に引用したいと思います。

岡山県は農業県から工業県への脱皮を図るべく、1939(昭和14)年に工場誘致委員会を設置。同年汽車製造岡山工場の誘致に成功した。汽車会社が岡南地区への進出を決めたのには、"弾丸列車"と通称される広軌幹線の新岡山駅が大元の西側に計画されていたことと関わりがあったと思われる。(中略)年が改まって1944(昭和19)年1月28日、専用鉄道敷設協議会が岡山県庁で開かれた。(中略)ところが、ここで広島鉄道局施設部工事課長から「早く免許を得るためには、専用鉄道とするよりも、専用側線とする方が得策であるから、変更して申請書を出したらどうか」とのアドバイスがあったという。路線長3km以上は専用鉄道であるところを、戦時中の行政簡素化を背景に、行政側が専用側線を提案したというのが事実であれば興味深い。

結局、空襲などの被害もあり、汽車製造単独での専用線として建設は継続され、戦後の1947年(昭和22年)になって路線は開通。通勤や貨物輸送などに使われたものの、わずか3年後の1950年(昭和25年)、汽車製造岡山工場の閉鎖により専用線も廃止となりました。その後、この専用線跡を生かす形で、岡山臨港鉄道の発足へとつながることになります。そう、岡山臨港鉄道建設の歴史は、専用線として計画された1939年(昭和14年)まで遡るのです。このシリーズ(?)を追いかけて見て下さっている方には、説明するまでもないかも分かりませんが、1939年(昭和14年)は弾丸列車(新幹線)計画が動き出した年です。そう、どちらも同じ1939年(昭和14年)・・・これはただの偶然なのでしょうか。そして1944年(昭和19年)に行政側から提案されたという専用側線での申請。5月には申請され、8月には承認されています。わずか3ヶ月。まるで早く作ってくれと言わんばかりのスピード承認です。寺田氏も書かれていますが、ここに見え隠れするのは、やはり弾丸列車構想との関わり。この鉄道建設には国の意思が、強く関わっていると感じられるのです。

次に、こちらは岡山市立中央図書館に所蔵されている「岡山都市計画道路予定線図」です。昭和24年頃の青焼き図で、原板はかなり大きなサイズ。実は、岡山市では戦後の復興計画図がかなり残されており、こちらもその一部。注目は、岡山駅から下に伸びる線路。現在の宇野線(瀬戸大橋線)の左隣に、もう一本路線が書かれているのが見えました。(左側の矢印部分)
※合同新聞社発行の「岡山市は如何に復興されるか」という冊子にも、同様の計画図を見ることができましたが、著作上の問題を確認できませんでしたので、掲載を控えます。以下、こちらに掲載の地図につきましては、確認済みです※

そして、その南側。こちらには、とんでもないものが描かれていました。宇野線大元駅の周りに描かれた、たくさんの線路。明らかに線路が多すぎです。大元駅から左下方向へカーブしていくのが宇野線。真南に直線で伸びているのが岡山臨港鉄道(汽車製造専用線)です。大元駅の左側に宇野線と並行するように伸びる南北の鉄路、そして大元駅の南側を横切る東西の鉄路。現在、このような鉄道は存在していません。

そう、この東西に伸びる鉄道が新幹線。つまり弾丸列車の計画線なのです。

さらに続いて、こちらの地図は、先の地図と同年代に発行された岡山市全図です。ここには現在線と計画線に分ける形で、さらにはっきりと弾丸列車の路線が描かれていました。ただ、こちらには岡山臨港鉄道(汽車製造専用線)は描かれていません。

★↓写真をクリックすると拡大表示します↓★

大元駅付近を拡大すると、こんな感じ。これを現在の地図に重ねてみます。

★↓図をクリックすると拡大表示します↓★

※この背景地図等データは、国土地理院の電子国土Webシステムから配信されたものを利用しています。利用の目的第8項、サイズ規定5枚までの1枚に該当。

それが、こちら。これが地図に残されていた岡山市中心部の弾丸列車構想図です。宇野線は西側に付け替えとなり、東西に弾丸列車(新幹線)が通過する予定となります。それでは建設予定地の現在の様子は、どうなっているのでしょうか。さっそく現地を見ていくことにしましょう。

まずは、地図の1番です。弾丸列車通過予定地は、ドラッグストアとなっていました。

同地点から西を望んだところ。まさに予定されていた方向となります。

1番地点から東の路地へと入りました。ここは道路が一直線に東へと伸びています。建設予定地は、この写真より右側に立ち並ぶ住宅部分。この付近では周辺の宅地と違い、不自然に一方向へ立ち並ぶ住宅の列を見ることができます。

★↓写真をクリックすると拡大表示します↓★

1975年(昭和50年)2月の岡山市大元駅付近

※出典:国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」の空中写真を元に、駅名、実線等を記入したもの※
http://mapps.gsi.go.jp/

現在では、はっきりしない部分も増えていますが、この時代までは、まだはっきりと一直線に伸びる住宅の列(赤線で挟まれた部分)を確認することができます。

その道を、さらに東へ。写真に直接写っていませんが、予定地は、やはり右側奥に連なる宅地部分となります。1番と2番の中間付近。

そして道は突然、行き止まりに。予定地は写真右端付近。

そこから、さらに東に道が一直線に伸びています。この道は、ほぼ予定ルート上となっており、まさに弾丸列車の未成線と言える部分。

図の2番付近に来ました。まだまだ、直線。

岡山奥田郵便局前を通過。この先に国道30号線との交差点があり、そこから先、道は北側へ少しずれ、直線的には追跡できません。位置的には、岡山市立中央図書館と二日市公園がある広い敷地の少し南側を通過していく感じとなります。二日市公園の敷地は、当時は刑務所となっていました。

そして大元駅付近に戻って、4番地点です。ここは弾丸列車と移設予定だった宇野線との交差地点。この場所には、現在でも象徴的な建物が建っていました。JR西日本岡山第2鉄道寮です。

そして、隣にもう1つ。主に交通事故による重度の後遺障害を専門に扱う、岡山療護センターです。そういう目で見ないと、なかなか意識しないものですが、この地に今でも国の機関やJRの建物が建てられているというのは、やはりここが新岡山駅建設予定地だったことを暗示していると言えそうです。

そして旭川より東に進んだ、5番地点。ここは詳細図(上図)で5番と6番に分けてみました。ここには明らかに、周りの住宅地の区割りと違う路地が見えています。まるで四角形の中に2本の斜め線を入れたような路地。

現地の様子です。5番地点。西方向を見たところ。変な角度で右側に入る道が見えました。そのため公園は三角形になってしまっています。

こちらは6番地点から見た、斜め方向の道。実は、ここは道路の建設予定地となっている場所。ただ周囲には、まだ着工されるような気配はありません。当時の弾丸列車ルートも、まさにこの地点を通過しており、今は道路計画に姿を変えて、痕跡として残っているものと考えられます。

そして、こちらは道路となった岡山臨港鉄道跡地です。弾丸列車計画始動と同時に誘致が決まった汽車製造。汽車製造の名の通り、鉄道メーカーの1つでしたが、1972年(昭和47年)に神戸市の川崎重工業へ吸収合併となり、現在は残っていません。そして、ここが大事なのですが、汽車製造と言えば、やはり新幹線なのです。汽車製造は、1964年(昭和39年)に東海道新幹線0系を製造した会社。そうなると弾丸列車計画始動と同時に岡山工場を作ったのは偶然の一致とは思えません。

こちらは旧片上鉄道吉ヶ原駅構内、現在の柵原(やなはら)ふれあい鉱山公園に残る、キハ7001です。先頭部分しか残っていませんが、こちらは岡山臨港鉄道で晩年まで活躍していた車両。大元駅で乗り換えとなる岡山臨港鉄道は、晩年、単行(1両)での運転が多くなっていました。

そして同じ構内に保存されているトム519。実は、これは汽車製造岡山工場で作られた車両です。

1939年(昭和14年)に誘致され、1942年(昭和17年)には操業を開始、1943年(昭和18年)に大元駅への専用線建設が明らかとなり、1944年(昭和19年)には行政から催促されるかのようにスピード認可。これらの動きは、弾丸列車建設構想と重なり合います。宇野線を大元駅西側に移設して建設予定となっていた弾丸列車の新岡山駅。新大阪−新姫路の区間で見てきたように1942年(昭和17年)には各地で調査が行われ、建設の動きが盛んとなっていました。それは、岡山でも同じだったと考えられるのです。

そう、汽車製造には弾丸列車(新幹線)の車両製造という重大な使命が課されていました。宇野線を西側へ移設し、弾丸列車との交差部に新岡山駅を建設。さらに、使われなくなった岡山方面への宇野線を利用して、弾丸列車建設に必要な資材、そして汽車製造で製造した車両を車両基地へと運び込む・・・。当時の道路事情では、建設資材や鉄道車両を道路で運ぶのは現実的ではありません。第三章で見た西宮市の大谷町から北へ伸びる貨物線計画、そして第八章検証編で取り上げた、御着駅からの貨物線建設など、弾丸列車(新幹線)建設と貨物線建設は決して無縁ではありません。いえ、むしろ弾丸列車建設のような巨大プロジェクトには、補給線となる貨物線は必要不可欠なものと考えられます。弾丸列車の建設が具体化するにつれ、ここ岡山でも専用線の建設が急がれたのはそのためと考えられるのです。

第1部完結編でも見てきましたが、弾丸列車計画は昭和18年で中止された訳ではありません。それは神戸の資料に続いて、ここ岡山でも確認できる結果となりました。戦後の昭和20年代前半になってからも、弾丸列車(新幹線)建設構想は生き続け、汽車製造も、その動きを証明するように単独となっても専用線を建設。しかし1950年(昭和25年)、わずか数年の稼働で工場は閉鎖。この時が、本当の意味で弾丸列車計画が白紙になった瞬間と考えられます。そして1950年代後半には各地で用地は返還され始め、山陽側(新大阪以西)の弾丸列車ルートは、歴史に埋もれていくことになるのです。

★↓写真をクリックすると拡大表示します↓★

※この背景地図等データは、国土地理院の電子国土Webシステムから配信されたものを利用しています。利用の目的第8項、サイズ規定5枚までの2枚に該当。

歴史に「たられば」はありませんが、もし、弾丸列車構想ルートが破棄されず、戦後の山陽新幹線建設用地として生かされていたら・・・。岡山臨港鉄道は、現在も生きていたかも知れません。宇野線は西側へ付け替えられ、岡山臨港鉄道は岡山駅への乗り入れを果たしており、新幹線新岡山駅とも連絡。汽車製造を引き継いだ川崎重工は、現在も岡山で様々な鉄道車両を製作し、岡山駅への回送列車が走る。また、岡山臨港鉄道には児島湖の締切堤防上を走る分岐線の構想もあり、実際に宇野方面へも路線が計画されていました。もしかしたら玉野市方面からの乗客をも取り込み、岡山南部への幹線ルートとして活躍していた・・・。そんな歴史も考えられるのです。

30年以上前に消えた、岡山のローカル私鉄、岡山臨港鉄道の軌跡。その歴史には、当時の弾丸列車建設計画の息吹が、確かに刻み込まれていました。

東海道新幹線の原型となるものの、山陽側では白紙と消えた弾丸列車構想。今回は、複数の計画図も残っており、岡山市内のルートは詳細に判明しました。そうなると、やはり次に気になるのは、兵庫県から岡山県までのルートと言われている赤穂線沿線です。果たしてそこにも、弾丸列車建設の痕跡は残されているのでしょうか。次回は、その赤穂線沿線へ。

次回、第弐部第二章「赤穂線沿線に散りばめられた弾丸列車建設の痕跡を求めて」

公開まで、しばらくお待ちください。

★↓これまでの弾丸列車構想シリーズは、こちらをどうぞ↓★

西宮市に残る日本最古の「ねじりまんぽ」と謎の貨物線ー近代化への痕跡ー【序章】

幻の新幹線計画(大阪−神戸)−闇に消えた弾丸列車構想−【第一章】

よみがえる大阪−神戸の弾丸列車構想−知られざる近代化への道−【第二章】

日本最長のトンネル計画−国鉄の描いた弾丸列車構想−【第三章】

混沌と矛盾の新大阪駅−戦時下に隠された弾丸列車構想−【第四章】

阪神間の弾丸列車構想ルート完結編−そして舞台は神戸市へ−【第五章】

神戸の山中に眠る弾丸列車構想−新神戸駅と謎の軍用道路−【第六章】

ラインが結ぶ弾丸列車構想−神戸・明石建設の謎−【第七章】

神戸市内の弾丸列車建設ルートを訪ねて【第七章検証編】

姫路市内に弧を描く幻の新幹線ルート−加古川から新姫路駅へ−【第八章】

姫路市内の弾丸列車建設ルートを訪ねて【第八章検証編】

明石周辺に乱立する鉄道計画の謎−軍事都市に消えた痕跡−【第九章】

明石北方に描かれた大港都構想−浮かび上がる弾丸列車構想の全貌−【第十章】

明石周辺の弾丸列車構想ルートを訪ねて【第十章検証編】

秘められた新神戸駅建設計画の全容と幻と消えた分岐構想−弾丸列車が地域に残した痕跡−【第一部完結編】

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Comment
なるほど!なるほど!
確かに繋がっていますね。
実は12月に岡山臨港鉄道跡をサイクリングしたばっかりなんです。ルートもよく覚えています。
しかし歩いて?これだけのルートを調べて周られてるのでしょうか?すごく細かく調べられてるので敬服します。
でも昭和25年まで計画は生きていたんですね!
弾丸列車構想のために貨物線を張り巡らせるとは、とても理にかなったやり方と言えます。
ただ勇み足的な着工準備に思えます。
昔の日本らしいと言えば・・・らしいんでしょうけど。
次回は赤穂あたりですか?あのあたりも散々サイクリングしていますので、え〜〜ここだったの?なんて思ってしまう所が登場するのでしょうね。でも、、神戸〜姫路やこの岡山大元のルートから考えるとあのあたりかな?なんて勝手に想像もしております!(笑)
記事掲載、ありがとうございます!
  • よう
  • 2016/02/19 12:39
尼崎から西宮の弾丸列車ルートは、全線歩いてみましたが、最近はそんなに歩いていません(笑)。近くまでは電車で行ったり、車で行ったりすることがほとんどですね。もちろん、要所要所からは、歩いて調査しますので、まったく歩かない訳ではありませんが・・・。次回の赤穂線沿線も長大な範囲となりますので、赤穂線を乗り継いだり、車で行ったりを繰り返しています。
補給線となる貨物線は、他の目的と合わせたりしてはいますが、ちょっと無計画というか急ぎ過ぎの感じはありますね。その辺りは、やはり時代背景や戦時中の雰囲気だったことも影響しているのでは、と思っています。ちなみに弾丸列車構想の記事は、まだ調査中と言いますか、結果がまとまらないうちに、いつも次回記事の範囲(タイトル)を決めており、これこそ勇み足な公開準備となっております(笑)
ということで、赤穂線沿線のルートは、私の方でもまだはっきりとは判明しておりません。調査は、まだまだこれからの場所も多くなっておりまして、残念ながら推定の見込みも立たない場所もあるのが事実です。なるべく少しでも、分かっている情報から記事にしたいと思っておりますので、予想される全体像をぜひご一緒に思い浮かべて頂けたらと思います^^
市内の廃線って、子どもたちのかっこうの秘密基地ですよね
  • まつ
  • 2016/06/09 01:06





   
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